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つかんだ砂は投げつけてやれ
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みなさまお元気ですか

私は葬儀関連片付けたり遺品整理したりカレー食べたり親方の病院行ったり遺品整理したり病院行ったり猫と遊んだり遺品整理したり区役所行ったり仕事行ったりライブ行ったりライブ行ったりライブ行ったりカレー食べたり片付けたりの忙しい毎日ですが、元気です。

バッタリ会った知人に親方の病気再発を話したら、
私だったらそんな旦那さん捨てちゃうなあ、
最初に倒れた時に捨てちゃえばこんな苦労しなくてよかったのにね?

って言われた
確かに、その選択肢もありだと思う
だけど私は親方と歩くつもりでいて
親方の人生を背負うつもりもなくて
ただ一緒に歩いていこうと思ってて
歩きにくそうな時は一緒に休んだり
お互い手を貸したりするだけだ
___________________________________________________
あれは28年前の冬のことじゃった・・・

冷たい鍋を囲んで談笑している四人がいた。
すーじーと親方、この若い二人が暮らし始めたアパートに、すーじーの両親を招いたのである。

親方は考えていた。
「親父さんに、すーじーさんをくださいって言ってから鍋に火をかけよう。
鍋が煮えたらお袋さんにありがとうって言おう。」

しかしさっきから鍋に火は入らず、冷たいままだ。
そう、言い出せずにいるのだ。
と言うよりも、親父が何かを察知して、親方が口を開こうとするたびに話をはぐらかすのだ。

さんざんっぱらどうでもいい話をすること数十分
親方がトイレに立った時に、親父が言った。

「おい母さん、そろそろ親方君の話を聞いてやったらどうだ?
ずっと何か言いたそうにしているじゃないか」


・・・話をそらし続けていたのはあなたですよお父さん・・・という言葉をぐっと飲み込み「そうね」と返すお袋。

トイレから戻ると、先程までとはうって変わって神妙な面持ちで姿勢を正した親子三人。
その姿を見て、時は来た・・・!そう感じた親方。親父とお袋の前に正座する。

「すーじーさんをください」

言った!!!!

親父、親方の顔をじっと見、天井を見上げる。
目を閉じ、うーむと唸る。
お袋の顔を見る。頷き合い、若い二人の顔を見る。

「・・・好きもの同士、仲良くやりなさい。」


??
ちょっとお父さん!?
好きもの同士って!!

親父「間違えたぁー!もぉー!!
渋くキメたつもりだったのにー!!」

ようやく鍋に火がつき、
湯気に濡れたふりをして涙を拭う親父であった
____________________________________________

今週末は親方と私、26回目の結婚記念日です。

12月11日が挙式で12日が入籍
どちらが結婚記念日なんだろうな
12月12日のほうが、いちに、いちに、と私たち夫婦らしいと思う。


歩いてるのは誰のため?たまにこんがらがってしまうけれど
大切なものを守るため それは巡り巡ったら君のため(鶴/歩くThis Way)

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おばあさんが入院するちょっと前
アナタが嫁に来てから数字家が狂い始めたと言われた
親方が脳腫瘍で倒れたのも、病気知らずだったおばあさんが動けなくなってしまったのも、おじいさんが亡くなったのも、みんな私が嫁いできたせいだ

そーですか
あーそーですか

これがおばあさんと交わした最後の会話だった

そっか
・・・そっか
自分はこの世に要らん子なのかな

おばあさんへちゃんと感謝の気持ちを持って接していたらありがとうって言ってもらえたのかな
恨みごとを言わせたままお別れしてしまった
ちゃんと、ありがとうって言えないまま
あの日の会話はずっとずっと心に影を落とし続けるのだろうな

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おばあさんが土曜日の朝亡くなりました。

元来の健康体に加え、屈強な精神力と有り余る体力でもって80歳超えてもなお家事も畑仕事もバリバリこなし、世界最強のバアサンだな、500歳くらいまで生きるのではないかなと思っていたのですが、
2017年の9月、脳出血で倒れたのをきっかけに、徐々にパワーダウンしていきました。
2018年の2月には肺炎で入院。
一命はとりとめたもののそこから在宅介護の始まりで

今年の夏くらいから食欲が落ちて、「夏バテかな、元気ないな」と感じ始めてから徐々に寝ているだけの時間が増え、食事がほとんどとれなくなり10月から入院。
体調も回復して退院の運びになり、だけどもう少しリハビリが必要との判断で、
老健に入所も決まって、あとは日取りを決めるだけでしたが

11月13日の夜に病院から連絡があり
昼から腹痛、嘔吐していて、どうやら腸閉塞らしいとの事
命に関わるような異変があったら連絡しますと言われ、眠れないまま過ごした夜。
14日明け方4時に連絡があり
病院に駆けつけた頃にはすでに意識はなく

検査の結果、腸閉塞、嘔吐による誤嚥性肺炎、敗血症
点滴の効果で血圧を保っている状態

意識はないけど心臓は動いてる、苦しそうだが呼吸はしている
うっすら開いた目はまだ見えていると信じて色々と話しかけた。

だけど、みるみる悪化していった

本当にあっという間だったし
本当に本当にびっくりした

親方の入院前にバタバタのてんやわんや
おじいさんの一周忌も急遽、ちがう形で行うことに。

さてこれから
月曜日通夜、火曜日葬儀。
おばあさんの生前からの希望で、家族だけの小さな小さなお葬式に。

感染症対策で、入院中の面会禁止でした。
危篤になってからも、最小人数でしか入室できず
誰にも会えないまま旅立たせてしまったことが本当に残念でなりません。

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昨年11月25日、おじいさん(舅)が亡くなりました。
12月2日の通夜、3日の告別式を無事に終え、そろそろ四十九日です。

おばあさんは高齢がゆえ、親方は高次脳機能障害がゆえの難があるため、私が喪主を務めました。
こういう時に夫を頼れないのって本当に辛いなあと
しかしながら、息子達がとても頼りになったのと、親戚やご近所さんがとても助けてくださり、無事におじいさんを見送ることができました。

死因はというと、解剖の結果、溺死でした。
高血圧なのに熱めの風呂に入り、意識を失い、湯の中に顔半分が沈み、そのままお湯をたくさん吸いこんでしまったらしい。
風呂の中で意識を失っているおじいさんを長男が発見、救急車を要請した時にはすでに心肺停止状態、病院に搬送後も懸命に対応していただいたものの、手遅れでした。
私は仕事中で、早退して病院に到着するまで、看護師さんが心臓マッサージを続けてくださっていた。
第一発見者の長男には大変辛い思いをさせてしまった…。
もっと早く気付いていたら…と自分を責める。
それはちがうと思う、と話す。誰のせいでもない。
私が家にいてもたぶん、気付けなかった。

悲しむ暇もなく、事務的な手続きが始まり、
病院以外の場所で人が死ぬと警察が介入しなくてはいけないそうで、家族への聞き取り調査や家の現場検証なども。
長男は何度も発見時の様子を細かく訊かれていて、本当にキツかったと思う。

おじいさん、穏やかな顔で亡くなっていたのがせめてもの救い。
ほんとうに、お風呂の中でうっかり眠っちゃってそのまま起きれなくなっちゃったんだろうな、というくらいの。今にも起きそうな。

30年くらい前から近所のお寺にお墓を用意していて、そこの住職が、葬儀の前におとうさんのお話が聞きたいと時間を取ってくださり、長男と二人でお寺に行った。

戒名をつけるにあたりなんでもいいからお人柄やエピソードを聞かせてください。って。
晩年はおばあさんが倒れたことがきっかけで、おじいさんの嫌なところばかり見えて仕方なかったけど・・・
あれっ。
思い出話に出てくるおじいさんは全部やさしくて、全部頼もしくて、全部、笑ってて。

おじいさんのことを思い出して、話して、穏やかに笑う。
正直な話、さっきまで、なんで私が喪主なんだーーーなんで今死ぬんだよーーーー(楽しい予定がいっぱい狂った)ってすごくすごく悔しかった気持ちが、おじいさんのために頑張ろうっていう気持ちに変わった。あれは不思議な時間だったなあ・・・。

おじいさんに私がやってきたことよりも、
私や家族がおじいさんにやってもらったことのほうが、とても大きいじゃないか
なんで今頃気づくのか
何の恩返しもできなかったな・・・

そんなこんなで
これからまだまだ大変だけど

頑張ります。

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※数年前に書いたものです
【数字家パイナップル事件】
8/17はパイナップルの日ということで
昔、実家で起きた騒動を記しておく。

1998年12月29日
家族みんなで実家に集まり、母の50歳の誕生日パーティをしていた。
参加者は、父、母、兄、妹、妹の夫、甥っ子(生後2か月)、私(あちゃ子)、長男T(1歳10か月)

母の健康を願い、幼い長男Tと甥っ子の成長を喜び、年末なので1年を振り返ったり、来年のことを語り合ったりしていた。

宴も最高潮になった頃合いで、父が言った。

「よし!みんなでパイナップルを食べよう!あちゃ子、ちょっと切ってこい。」

実家に着いた時からちょっと気になっていた。
仏壇に鎮座していた、丸ごと1個のパイナップル
・・・2ヶ月くらい前に来た時もあったような気がする

そのパイナップルを手渡された。
・・・うん、明らかに腐っているな、これは
父にその旨を伝えると、

「そんなわけあるか!これくらいが食べ頃なんだ!!」と言い張る。

「みんなが集まった時にみんなで食べようと思って取っておいたんだ!いいからさっさと切ってこい!」

仕方ないからとりあえず切ってみる。
やはり腐ってるよな・・・他の家族にも見てもらう

他の家族も「お父さんこれはやばいよ」と言ってくれた。
「みんなのために用意してくれたのに残念だけど、ちょっとやめたほうがいいと思うな」
父の気持ちを汲みながら、やさしくやさしく。

しかし父は引き下がらない。

「誰もわかんねえのか!パイナップルはこのくらいがうまいんだ」
「みんなのために買ったのにどうして誰も食わねえんだ・・・ほれ、T、食べてみな?うまいぞ」

やばいパイナップルを長男の口元へ持っていこうとするので、それまでのやさしくやさしくモードがオフになり、子を守るために闘う母親モードになってしまった。

「ちょっとやめてよっ!!
そのパイナップル腐ってるからっ!!!!
Tに食べさせないでよ!!!」

「なにをっ!!お前は俺がみんなのために用意したパイナップルにケチをつけるのか!!」

「ケチつけるとかそんなんじゃなくて!腐ってるからっ!明らかにっっっ!!」

「お前が食べなくてもTは食べたがってるじゃないか、ほれ、うまいぞ」

いつまでも俺のパイナップルは大丈夫だと言い張る父に、
「じゃあお父さん一人で食べなさいよ!!!」などキレる私。

「あちゃ子、ちょっと言い方キツいよ・・・」
兄が仲裁に入ってくれた。

この一言で兄が味方についた!と思ったのか
父の中の「かわいそうな俺」スイッチがオンになった。
「みんなのため」よりも「みんなのためにパイナップルを用意したのにあちゃ子に叱られてるかわいそうな俺」になってしまったのだ。

みんなのためにパイナップルを用意した俺。
俺が用意したパイナップル。
かわいそうな俺と俺のパイナップル。

「せっかく用意したパイナップルを腐ってるだのなんだの・・・パイナップルはこのくらいがうまいんだよ・・・なのにあちゃ子は・・・」
いつまでもグチグチ言う父に、今度は兄がキレてしまった

「あー!もうっ!はいはいはいはいっ!!!わっかりましたよ!!!
このパイナップル博士っ!!!」
・・・小学生みたいな煽りである

「なんだとっ!!??」

「もうやめて・・・・」泣き出す母。

ハッとした
そうだ、今日はお母さんの誕生日・・・

「知るか!」外に飛び出す父。
「俺が行くわ」出ていく妹の夫。

しばらくして、妹の夫だけ戻ってきた。
「あちゃ子」と一言だけ言い、親指でドアの外を指差す。

外に出るあちゃ子
父は一人ぼんやり夜空を見ながら煙草を吸っていた
その横に並ぶ

私「お父さんごめんね」
父「ごめんな、あちゃ子」
私「お母さんの誕生日なのに」
父「お母さん、歳取ったな」
私「お父さんもだよ」

20年以上前のお話。

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プロフィール
HN:
数字9
性別:
非公開
自己紹介:
神奈川在住。
色んな音楽に出会うことに喜びを感じながら、ゆるゆる生活する日々。…でしたが

2010年10月、夫が「ヘマンジオペリサイトーマ」という脳腫瘍で倒れ、摘出手術に成功したものの、高次脳機能障害と視覚障害のため、リハビリの真っ最中。
がんばってます。

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