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つかんだ砂は投げつけてやれ
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親方の近況報告です。
2021年2月22日から入院、全16回の重粒子線照射を終え、3月19日に退院しました。
驚くほど痛みがなくなったようで、痛み止めの薬が減りました。頓服の痛み止めを飲まなくなりました。
家の中では杖無しでもりもり動き回っています。
外出の時には転倒予防のため杖は必須ですが、以前よりスムーズに歩けるようになりました。

入院中は病状もだけど高次脳機能障害による認知の怪しさが心配で、
何かトラブルを起こしていないかとても不安でしたが、看護師さんのお話によると、うまく生活していたようです。とは言えおそらく大変な患者だったと思います。
退院の際には色んなスタッフさんがにこにこと見送ってくださり、たぶん、良い入院生活だったのだと思います。とてもお世話になりました。

コロナ禍で見舞いもできず、結婚26年でこんなに長期間会えないのは初めてのことで、特に病気になってからの10年間は毎日毎日家にいるものだから、言い様のない寂しさもありました。
無事に帰ってきてくれて本当に嬉しいです。

3月29日
退院から10日後の受診
今までは痛みもあり車の乗り降りが大変なのと何かあった時に対応できるようにとタクシーを利用していたのを、私の運転で行きました。
出費が減って嬉しい(タクシー代往復8千円だった)

患部のX線と骨軟部腫瘍外科と重粒子線科受診とランマーク注射

腫瘍の周りの骨は溶けてしまって(以前の記事に骨折と書きましたが正確には溶けているそうです)これは再生しないとの事
重粒子線の副作用で骨が脆くなるため、骨折などのリスクがあります。
ゆくゆくは車椅子の生活になるのではと思います。
入院中に、家の中をできるかぎりバリアフリーに模様替えしました。
今後も毎日の服薬、1ヶ月に1度骨を強くするランマーク注射、再発がないか定期的に検査をします。


3月30日
年に一度の脳外科受診(がんセンターとは別の病院←元々の主治医)
※3月23日に頭部MRI撮影
頭の中には新たな再発や悪化はなし
こちらはまた1年後

※治療費
重粒子線治療は
①公的医療保険適用になる疾患
②先進医療の適用になる疾患 
に分類され、
①の場合
237万5千円か160万円(治療内容によって異なる)のうち0〜3割負担
※高額療養費制度を利用可能
②の場合
350万円全額負担(先進医療特約利用可※保険会社との契約による)
※神奈川県では神奈川県民が重粒子線治療を受ける際に、医療保険の対象とならない②の重粒子線治療の費用に対し、最大35万円が助成されるそうです。

親方の場合、
①の237万5千円の
重度障害者医療証があるため0割負担でした。

そんなこんなで
いつも気にかけてくださっている皆様、ありがとうございます。
温かい言葉やお気遣いに何もお返しできないのですが、
なるべく元気に長生きすることが最大の恩返しかなあと勝手に思っています。

次の再発がありませんようにと祈りながら
うっかり骨折しないようにと注意をしながら
これからも精一杯生きていきます。

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2010年10月に親方を襲ったヘマンジオペリサイトーマという腫瘍は10年後の再発が90%、
脳外科の主治医は、腰や足に転移した例を診たと言う。

2020年8月頃から
腰や足の付け根の痛みを訴えていた。
施設を休みたいと言う日もあり、休みたいなんて滅多にない事で胸騒ぎがした。

毎年3月に脳外科の定期検診でMRI検査を受けている。
今年も、再発も悪化もなしと言われてホッとしたばかりなのだが、また受診した。

主治医は不在だったが再発の心配を話してMRIを撮ってもらう。
3月と同じ結果だった。
そのままこの病院の整形外科で診てもらえないか訊いたが、別の科なので新患扱いとなり今日の新患受付は終わってしまったと断られた。

その足で近所の整形外科へ
初めて行く病院。先生を見てびっくりした。
4年前に次男の膝を手術してくださった主治医だった。
信頼できるK先生との再会に奇跡を感じた。

レントゲンの結果、特に異常は見つからず痛み止めを処方してもらう。
痛みが治まらなかったらまた来るように。

薬が効いて元気になった!
施設も行くようになった!
さすがK先生だ!
定期的に通院した。

10月半ば
なかなかスッキリと良くはならないねーなど思いながら、いつも通り診察を受ける。
帰り際、受付の看護師さんに
「別の先生の時に一度診てもらったほうがいいかも」と提案される。
「K先生はなかなか検査をやりたがらないんですよ・・・
坐骨のMRIが必要だと思うんだけどな・・・」

言われた瞬間は、何を言うかK先生は次男の膝を治してくれた人だぞ すごいんだぞと思ったのだけど、自分の中で無意識に遠ざけていたモヤモヤした感覚が具体的な形になり始めた。

しかし、おばあさんの入院や退院後のあれこれで親方のことをするタイミングが遅くなってしまった・・・

11月頃から急に歩き方が変化した。
今まで両足とも大差ない摺り足だった(目が見えないから開頭手術後からずっと)のが、右足だけを大きく引き摺るようになった。

いつもと違う病院を受診した。
実はここは次男の怪我でテキトーな処置を受けたことがあり、私の中でヤブ医者だと思っている病院だが、この日はなんとなくここに足が向かった。

「これは坐骨があやしいな」すぐさまMRIを撮ってくれた。

結果、右坐骨に腫瘍を発見、現在に至る。

⚫︎脳外科の定期検診で異常なしと言われて安心していた。脳外科では頭の中しか見ない。
確かに脳外科的には異常なかった。

⚫︎K先生を過度に信頼していた。
次男に話すと「K先生は膝専門の先生だから」と。・・・そうか。

⚫︎ヤブ医者だと思い込んでいた病院で名医に出会った。
K先生の例もあるように、整形外科の中でも専門外の分野だと、明後日な方向の診断をしてしまうのだろう・・・

色んな思い込みが重なって発見が遅くなってしまった。
親方には長いことつらい思いをさせてしまった。

腰や足に転移すると聞いていたのだから、脳外科と連携の取れる整形外科を把握しておくべきだった。症例が少ないから「ヘマンジオペリサイトーマの再発かもしれない」と言ってすぐにピンときて「ああ!そうか!!ヘマンジオペリサイトーマか!!」と言ってくれるお医者さんはあまりいないかも、と思う。

自分はなんの知識も持ち合わせていないから、起こったことをただただ記録しておくしかできなくて、誰かの役に立つよりむしろ不安を煽ったりしないかと心配でもありますが
またちょっとずつ、時間のある時に書いていきたいと思います。

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親方の闘病記録です。
※Twitterで #親方1212 というタグで記録し始めました

●11月24日 腫瘍の生検のため入院
高次脳機能障害のため、入院生活が不安だった。
病室から出たら絶対迷子になる
トイレに行ったら病室に戻れない
「なにかあったらナースコールを押す」という動作が覚えられないと思う
そんな不安を丁寧に聞いてくれた。
患者がベッドから離れるとナースコールが発動する「離床センサー」をつけてくださった。
実際、ほぼ問題なく過ごしたようで一安心。
●11月25日 退院
●12月2日 我が家に電動ベッド導入

●12月3日 核医学検査
検査の6時間前から食事や糖分の摂取禁止
体内に放射性物質を含む薬を注入し、特殊なカメラで撮影し病巣を見るというもの
親方の腕は血管がとりにくく、注射針が入るまで30分もかかってしまった。
※血管が出にくい人は事前にカイロやホットタオルなどであたためておくと良いとあとで知る
体が大きいため、通常20〜30分の撮影が50分必要だった。

●12月7日 外来受診
・腫瘍の生検の結果、ヘマンジオペリサイトーマの骨転移に間違いなく、
診断名は「みぎ坐骨悪性骨腫瘍」
病態、組織型など「孤立線維性腫瘍」
・核医学検査の結果、他への転移は無し
・手術できない厄介な場所であることから「重粒子線治療」を受けることに
※病気自体は手術して切除することは可能だが、術後の機能性に大きな変化が生じるため(腫瘍の周りの筋肉や組織をごっそり取らねばいけなくなり、再建は困難である)

・ランマーク治療開始
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重粒子線治療
放射線治療のひとつで、より高度で細部までの照射ができるらしい
神奈川県立がんセンターにお世話になる。その見込みでこの病院を紹介してもらった
※神奈川県で受けられるのは1箇所だけなので、闘病記の記録にあたり病院名を伏せません

全16回(週4回 4週間)の治療、通常は通院による治療だが、通院困難な人は入院できる
ただし感染症対策のためお見舞いは禁止、それと、治療のない週3日は本当に何もすることがないのでメンタル的に厳しいかもしれないとの事
親方には申し訳ないが、正直、諸事情考えると週4回も親方を連れて病院に通うのは現実的ではないのだ。入院の方向でいく。

この治療で、腫瘍をやっつけていく
手術のようにきれいさっぱり取るわけではないけど、腫瘍の縮小や患部の治癒を期待する。
デメリットとして(親方の場合)
・皮膚に異常が生じる可能性(放射線皮膚炎)
・治療後1年経過すると、照射された骨がもろくなり、変形や骨折が生じる可能性
・病巣近くの様々な器官への照射を避けることは困難なため、末梢神経や消化器官、尿路などに有害反応が生じる可能性

考えられるリスクは多々あるのだが、このまま放置するわけにもいかないし、手術をするよりもリスクは少ない

ランマーク治療
骨転移による骨破壊を抑えるための治療
4週間に1度の皮下注射。いつまで行うかは今後の治療によりけり。
※がん細胞はランクルという、骨を破壊する物質の生産を促進する。ランクルはどんどん骨を溶かしていき、がん細胞は骨の中の成分を吸収してどんどん増殖していく
ランマーク治療は、そのランクルの作用を止めることができるらしい。
・低カルシウム血症など副作用が起こる可能性
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治療患者さんが増えているため、親方が重粒子線治療を受けられるのは来年2月頃になる見込み。

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親方の腫瘍が再発(転移)した。
2010年10月に親方を襲った脳腫瘍はヘマンジオペリサイトーマというもので、10年後の再発率が90%くらいだと主治医に言われていた。
ほんとに10年後にやってくるとは。
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2020年
夏から腰痛を訴えていて、色々と受診をしていた
(この辺の時系列はまた機会を見て書こうと思う)

11月に入り、最近変な歩き方してるなあと猛烈な違和感、
夏から通っている病院とは違う整形外科へ。

MRIの結果、股関節に腫瘍を発見。腫瘍周辺が圧迫されて(?)細かく骨折している。
紹介状をもらい、翌日、大きな病院へ。脳外科の主治医がいる病院だ。
前日の整形外科の先生は掛け持ちでこちらの病院でも診察しているとの事で、1日ぶりの再会。
事前に脳外科の先生と連携してくださっていて、親方のややこしい状態や事情はあまり説明せずに済んだ。有難い。

CT検査と腫瘍マーカーの結果、他の腫瘍や癌の兆候は無し。
ヘマンジオペリサイトーマの性質から十中八九、これの再発でしょうとの診断
病名は「孤立線維性腫瘍」(検索すると「孤在線維性腫瘍」との記述もあり、どちらが正しいのかわかりません)

専門の先生がいる病院への紹介状をもらい、来週受診予定。
摘出手術と股関節の再建手術が必要になる見込み。
術後もまた歩けるようになりますようにと願う。

厄介なのが全身への再発率がとても高く、かと言って特効薬も予防策もなく
「腫瘍ができたら手術して取る」この一択しかないらしい。
命にかかわる腫瘍ではないものの、発生する場所によっては大きく人生も変わってしまうだろうし、転移するたびに体にメスを入れるのは相当な体力と強靭なメンタルが必要だと思う。
まあ、頭の手術を乗り越えた人だもの。今回も大丈夫だと信じている。

いやはや。
実はおばあさんが介護老人保健施設に入所する運びになって、ちょっとのんびりできそうだな、昨年できなかった銀婚式のお祝いをしようかな、二人で奄美大島に行こうかな、など考えていたのだ。
なかなかのんびりさせてもらえないなー

ブログにはこれからまたぼちぼちと親方について記録していこうと思う。
ヘマンジオペリサイトーマは脳腫瘍の0.4%くらいというレアなやつなのだ。
高次脳機能障害についても、今までの親方の歩みを振り返っておきたい。
誰かの何かの参考になるのか、励みになるのか、なれないかもしれないけど

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以前書いた自分のブログから抜粋。

ほんと生きてゆくことは楽じゃないな、障害、壁、色々あるけど
私は転んでも泣かないし泣いちゃっても泣いてねえよバーカと強がっていく
転んで手をついた先の砂をつかんでまた立ち上がるのだ
つかんだ砂の中に宝物が紛れているかもしれないし
何もなかったらつかんだ砂を、転ばせた相手に投げつけてやるのだ


頑張ります。
長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

拍手[10回]

親方が病魔に倒れた日。

2010年10月1日、出勤する前のトイレで倒れた。
(そのあたりのことは当ブログの「親方」カテゴリにて)

当たり前のようにそばにいる人が突然いなくなってしまうかもしれない恐怖
一命は取り留めたものの、脳と視力に障害が残った。

まだ幼かった息子たちに苦労や心配をかけないように、これからの人生を考えなければとか
毎日の病院通い、今まで知らなかった病気や障害や各種制度に対する勉強、友人との付き合い方、ペーパードライバーだったので運転の特訓。
色んなことが激変した。

今年は結婚25周年。
倒れた年は16周年で
本当にいろんなことがあった。
我ながらよく頑張っていると思う。

親方を襲った腫瘍は、再発の可能性が90%と言われている悪性のもの。
主治医の知ってる症例だと、10年後くらいに発症した例が多いのだそう。
自分の体のこともあり、あと何回記念日を迎えられるかなあと考えてしまうけど、案外いけるような気がする。

親方の障害と向き合う日々、不安はたくさんあるけど…これまでの年月よりも、これからの時間が長く続くといいな。

そんなこんなで今年の12月は自分の中で大きな節目なのです。
これまでの労いと周りへの感謝と25周年を迎える祝福と。あと、これからのささやかな幸せを願いたい。

毎年毎年言ってることだけど、今年も言う。
障害があっても命がある幸せ
家族や友人や
関わってくださる皆様の有り難さ
元気をくれる大好きなもの達
本当に本当に感謝しています。

これからもよろしくお願い致します。

がんばるぞー

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プロフィール
HN:
数字9
性別:
非公開
自己紹介:
神奈川在住。
色んな音楽に出会うことに喜びを感じながら、ゆるゆる生活する日々。…でしたが

2010年10月、夫が「ヘマンジオペリサイトーマ」という脳腫瘍で倒れ、摘出手術に成功したものの、高次脳機能障害と視覚障害のため、リハビリの真っ最中。
がんばってます。

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