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つかんだ砂は投げつけてやれ
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親方、無事に退院しました!

今日は、元の病院(手術をしたところ)の外来受診。
これからまた、ここの病院に通います。

今後の予定は
GW明けから、中途障害者施設へ
最初のうちは、週1回くらい通う、お試し保育的な感じ。

次の受診は7月に、造影剤を使ったMRIを。

最近は記憶力がすこし回復して、
「昨日のこと」とか「さっき言ったこと」を覚えてたり
「今日は火曜日だから、明日は水曜か…」ってそのへんの感覚も戻ってきたり

親方との生活は、こんな言い方していいのかどうかわからないけど
「もういちど、育児が始まった」感じ。
2歳児くらいの。
あれこれ一人でできるようになってきたけど、誰かがそばにいないと。

新しい生活のペースを掴むまで、時間はかかると思うけど

がんばる。

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今日は続けて2つ(これは3つめ)闘病記を書きました。
過去のmixi日記をまとめたものだったりしますが…

親方は今、家にいます。
退院に向けて、長期外泊にチャレンジ中です。
1週間の外泊をして、私や両親はいつも通り仕事に行ったりして、
日常の中に親方の存在をうまく入れるために、あれこれ生活を見直しているところ。
1週間暮らすうちに、今まで見えてこなかった問題点が見えてきたらソッコー改善する。

親方の現在。
やはり、過去のことを思い出すのが困難で(記憶をなくした…って言い方はしたくない。つか、適当でない気がする)、新しいことがなかなか覚えられない…相変わらずと言えば相変わらずだけど、進歩したところもかなりあるかな、という感じ。

退院後は「中途障害者地域活動センター」という施設へ通所する予定。
この施設は、高次脳機能障害や身体に障害のあるひと達が、軽作業や生活訓練、仲間や地域との交流を通して、身体機能を維持、向上させ、地域社会の中で自立した生活をすることを目的に、活動するところ。

身体は動くとはいえ、目があまり見えないから色々介助が必要だし、
トイレは自力でできるけど、トイレの場所を覚えられないんだ。
お尻の拭き方とパンツの履き方はわかるけど、トイレに行ったあと、帰る部屋がわからないんだ。
「生きててくれるだけで幸せ!」と思うけど、やっぱり現実問題、家にずーーーっと居られたら家族は大変だろうから、施設で頑張ってもらいたい。

病院の周りは桜の木がいっぱい。
花満開の頃、花びらに祝福されながら、親方を家に連れて帰ります。

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さてさて、本日2回目、親方闘病記の続きです。

腫瘍が鎮座していた「前頭葉」は、人格や考える力やヤル気やらをつかさどる部分であるそうです。そこがすっかりダメになってしまったので、記憶障害はあるわ難しいことは考えられないわ持久力がないわ、ということらしい。

こういう、頭の中に原因があっての障害を「高次脳機能障害」というそうで、それ専門のリハビリを受けるため、年明けから転院しました。

実は、転院を断られるところだった。
診察を受けた際、「基本的に、悪性の腫瘍の患者さんはお断りしているので期待しないでください。」って。
以下は、医師に言われた言葉であります。

果たしてリハビリが有効なのかどうかをまず第一に考えるわけですよ。
なので、悪性の患者さんはですね、再発や転移のおそれがあるので、せっかく頑張ったリハビリが無駄になる可能性が極めて高いんですよねー。
なにが患者さんの幸せかと考えたら、残された短い時間…厳しいリハビリよりも、ご自宅でのご家族のあたたかい介護…それをオススメしています。

以上。

目の前が真っ暗になった。
が、ちくしょー!こうなったら在宅介護で親方をトコトン幸せにしてやる!!とも思った。
しかし、転院OKのお知らせが届いたのでびっくり。

なにしろ、ヘマンジオペリサイトーマという病気は本当に稀でデータがほとんど無いらしく、この病気の患者を受け入れるのは初めて…という理由から、医師は尻込みをしていたそうだ。

データがないってことは、良い方に転ぶ可能性もあるってこと、
術直後に比べたら驚くほどの回復で、今後の回復もじゅうぶん期待できると思うってこと、手術を執刀した主治医がかなり説得してくれたらしい。

無事に転院して、言われたこと。
リハビリをしたからと言って、今現在の記憶障害や視力障害が回復するわけではないのだそうだ。

障害と上手に付き合い、少しでも快適に生活できるような術を身につけるための訓練。 できること、できる方法を駆使して、うまく生きられるような生活力を、リハビリで培う。


12/23 転院先の診察。悪い返事に目の前が真っ暗になる。
12/25 転院先から受け入れOKが出る。
    私が首からぶらさげていた「面会許可証」の文字を読む。
2011/1/13 転院
2/6 家に帰る(外泊)車の中で、CKBの歌を口ずさむ「俺の話をきけ〜♪」

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ICUを出て一般病棟に移った頃、摘出した腫瘍の検査結果が出て、主治医からお話がありました。
なんでも、ちょっと珍しい「ヘマンジオペリサイトーマ」という病気の可能性が、極めて高いとの事。

これが悪い奴で。
脳の腫瘍ってやつは大抵、頭の中だけで済む(転移はあまりない)のだけど、こいつは色んな所に転移しやすい上、再発の可能性が90%という極悪っぷり。

手術で腫瘍は全摘出したけど、細胞レベルで残っている可能性があり、そいつが血液に乗って、全身に転移するおそれがあるらしい。
主治医が診た中では、腰や足への転移のあった患者さんがいる、と。
するとやはりまた手術をして、場合によっては歩けなくなったりするんだとかなんとか。
そんな可能性を低くするため、その細胞レベルの残党を絶滅させるため、放射線治療を行う事になった。

放射線治療の後遺症についてあれこれ説明を受けた。
治療自体がつらく感じ、吐き気や激しい頭痛を起こすひともいて、もしそうなった場合は治療を中断するかもしれないとの事。
髪の毛が抜けるとの事。
患部だけに当てられればいいのだけど、放射線はまっすぐにしか当てられないから、どうしても、脳の大事な部分にも当たってしまうので、失明の恐れもあるとの事。
場合によっては、性格を司る部分を破壊する可能性もあるので、人格が変わってしまうかもしれませんとの事。
場合によっては、身体に麻痺が起こるかもしれないとの事。

髪はまた生えてくるからいいとして、失明と麻痺は恐ろしい話だ。
人格が変わり、目が見えなくなり、身体が動かなくなっても、それでもいいから生きてほしい。
…親方が元気になって、そんな自分に絶望する日もくるだろうけど、命さえあれば、進む道はいくらでも開ける。
私は親方と一緒に歩くのだ。

そんな決意を胸に、1ヶ月半に及ぶ放射線治療を開始。
幸い、吐き気や頭痛などは起きずに、全治療を終了した。

ちょっと細かい出来事を記しておく

10/8 人工呼吸器が取れる
10/18 「うん」「あ、そうなの」など少しずつ、言葉を発するようになる
10/21 見舞いの帰りに「またきてね」と言う
10/26 ヘマンジオペリサイトーマとの診断
11/2 流動食開始
11/9 「焼き肉がたべたい」という

術後2ヶ月くらいは寝ていることのほうが多く、目が一瞬開いただけで「おおー!」と喜んでいたものでした。
時間をかけてゆっくりゆっくり、目覚めました。




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あけましておめでとうございます。

すっかり放置してしまい、ご心配おかけしてしまいました。
ごめんなさい。

元気です。
親方も、快復に向かっております。
闘病記は時間があるときに…と思うのですが、なかなか、バタバタで

とりあえず現状だけ記しますと

再発・転移を予防するための放射線治療が終わり、リハビリ専門の病院へ転院する予定です。
リハビリが終わったら、自宅での介護生活になると思います。

だいぶ会話もできるようになりましたが、重度な「高次脳機能障害」のため、頭の中はまだまだ混沌としているようです。
加えて、右後頭葉に脳梗塞が起きてしまいました。
左側の視野をつかさどる機能がある部分なので、左目がほぼ見えなくなりました。

でも、
身体はきちんと動き
めちゃめちゃ食欲もあり
笑顔もあり
最近は右目が見えるようになってきて

親方の生命力を脈々と感じております。

ちょっと前までは、生きるために頑張って来た。
これからは、生きていくために頑張る。

そうそう、トモが高校受験なので、そちらもがんばらないと。

ゆるゆると頑張ります。
ことしもよろしくおねがいします。



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プロフィール
HN:
数字9
性別:
非公開
自己紹介:
神奈川在住。
色んな音楽に出会うことに喜びを感じながら、ゆるゆる生活する日々。…でしたが

2010年10月、夫が「ヘマンジオペリサイトーマ」という脳腫瘍で倒れ、摘出手術に成功したものの、高次脳機能障害と視覚障害のため、リハビリの真っ最中。
がんばってます。

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