つかんだ砂は投げつけてやれ
親方がリハビリ病院に転院しました。
いくつか病院を紹介してもらって、パンフレットや病院のホームページを見て直感で「ここだ」と思ったところへ。ここだと思った理由はリハビリへの取り組み方、専門医がいること、高次脳機能障害に理解があること。一番の決め手は「ご飯がとても美味しそう」なことでした。手術後ほとんど食べなくなってしまったから、美味しいご飯なら食べるかなと思って。
彩りも盛り付けも綺麗で、食器も清潔で、ムース状の嚥下訓練食も美味しそうで、それら全て手作りだと聞いて感動。病院の名前で検索すると、人間ドックの後に出るランチが美味しいと評判の病院でした。
そんなこんなで11月25日。
自力で座れない状態のため、ストレッチャー対応の介護タクシーで移動した。
最初は内科病棟でお世話になり、3日目くらいからリハビリ病棟に移動。
いやもうすごいの、リハビリ病棟。みんなリハビリしてる!(そりゃそうだ)
充実した器具、充分なスペース、バリアフリー。そして何よりも看護師さん、PTさんOTさんSTさん、ヘルパーさん、ありとあらゆる人がテキパキと働いていて、困ったことがあると誰に話しかけてもすぐに対応してくれる。「担当じゃないのでわかりません」なんて言う人は皆無。不調や不自由や不安を抱えた状態でこれはとても心強いことで、安心して親方を任せられる。
12月に入ってすぐ、1回目のカンファレンス。
主治医、担当看護師さん、管理栄養士さん、病院のソーシャルワーカーさん、いつもの生活相談員さん。たくさんの人が親方と我が家の将来について真剣に考えてくれて感謝しかない。
親方の今の状態と回復の見込みは予想以上にシビアなものだ。
実は、手術だけでは対応できなかった箇所が残っている。本来なら放射線治療もしたいところだが15年前に全脳照射をしているため、これ以上の照射はリスクが高くてできなかった。
加えて、手術の影響で脳梗塞が起き、左脚が麻痺してしまった。
右坐骨に腫瘍が転移した時に受けた重粒子線の後遺症で右脚も麻痺しているから、今後はおそらく寝たきりの生活になる。
そして胃瘻を勧められるほど嚥下機能が衰えている。リハビリの甲斐あって徐々に食べられるようにはなっているけど、毎日3食を全介助で1時間以上かけて食べる。食べない時もある。
栄養面での心配と誤嚥の危険もある。胃瘻の勧めは介護する人のためを考えてのことなんだと思う。胃瘻が必要になるかどうかまだわからないけど、まだ明るい可能性はあると思っている。
施設入所の選択肢もあるけど、今のところ自宅に戻る方向で考えている。
これまでにおじいさんとおばあさんの介護もしてきて、多分、あの時以上に苦労しそうだとは思うけど、どのような苦労よりも親方と一緒に居られない方がしんどい。あまり穏やかでない人生になることは15年前からとっくに腹を括っている。
「家族(またはヘルパーさん)一人の介助でポータブルトイレに移動できるくらいにはなりたい」というのが目標になった。何をするにも全ての動作に介助が必要だけど、少しずつ、立ち座りができるようになってきた。少し前まで座ることもできなかったのにすごい事だ。
これからやること。障害者手帳の再申請(今は視覚障害のみ。肢体不自由で申請する。障害の程度によって受給できるものが全然違う。)申請が通ったら自宅の改修工事や介護ベッドの導入。
※ただし症状が固定してから6ヶ月経たないといけないとかなんとか色々あって難航しそう。
生活が落ち着いたらデイサービスやレスパイト入院なんかも利用して、自分の休息日もきっちり確保する予定。
リハビリの経過を見ながら利用できる制度など慎重に考え、年内か年明けすぐにまた話し合いをする予定。
力を抜くのは苦手かも。でも手を抜くのは得意。息を抜く方法も知っている。間が抜けているのが致命的だな・・・。
これからの生活に不安は山ほどあるけど、まあなんとかなるんじゃないかなと持ち前の前向き思考を発揮している。周りの人に恵まれているし、何よりもこの人は大丈夫だという親方への信頼が厚い。頭を2回も切られたというのに立ち上がり続けるのすごいよな、さすが私が選んだ男である。もうすぐ31回目の結婚記念日ですよ。
なんてことを思いながら今日も今日とて頑張ります。
読んでくださった皆様、ありがとうございました。
いくつか病院を紹介してもらって、パンフレットや病院のホームページを見て直感で「ここだ」と思ったところへ。ここだと思った理由はリハビリへの取り組み方、専門医がいること、高次脳機能障害に理解があること。一番の決め手は「ご飯がとても美味しそう」なことでした。手術後ほとんど食べなくなってしまったから、美味しいご飯なら食べるかなと思って。
彩りも盛り付けも綺麗で、食器も清潔で、ムース状の嚥下訓練食も美味しそうで、それら全て手作りだと聞いて感動。病院の名前で検索すると、人間ドックの後に出るランチが美味しいと評判の病院でした。
そんなこんなで11月25日。
自力で座れない状態のため、ストレッチャー対応の介護タクシーで移動した。
最初は内科病棟でお世話になり、3日目くらいからリハビリ病棟に移動。
いやもうすごいの、リハビリ病棟。みんなリハビリしてる!(そりゃそうだ)
充実した器具、充分なスペース、バリアフリー。そして何よりも看護師さん、PTさんOTさんSTさん、ヘルパーさん、ありとあらゆる人がテキパキと働いていて、困ったことがあると誰に話しかけてもすぐに対応してくれる。「担当じゃないのでわかりません」なんて言う人は皆無。不調や不自由や不安を抱えた状態でこれはとても心強いことで、安心して親方を任せられる。
12月に入ってすぐ、1回目のカンファレンス。
主治医、担当看護師さん、管理栄養士さん、病院のソーシャルワーカーさん、いつもの生活相談員さん。たくさんの人が親方と我が家の将来について真剣に考えてくれて感謝しかない。
親方の今の状態と回復の見込みは予想以上にシビアなものだ。
実は、手術だけでは対応できなかった箇所が残っている。本来なら放射線治療もしたいところだが15年前に全脳照射をしているため、これ以上の照射はリスクが高くてできなかった。
加えて、手術の影響で脳梗塞が起き、左脚が麻痺してしまった。
右坐骨に腫瘍が転移した時に受けた重粒子線の後遺症で右脚も麻痺しているから、今後はおそらく寝たきりの生活になる。
そして胃瘻を勧められるほど嚥下機能が衰えている。リハビリの甲斐あって徐々に食べられるようにはなっているけど、毎日3食を全介助で1時間以上かけて食べる。食べない時もある。
栄養面での心配と誤嚥の危険もある。胃瘻の勧めは介護する人のためを考えてのことなんだと思う。胃瘻が必要になるかどうかまだわからないけど、まだ明るい可能性はあると思っている。
施設入所の選択肢もあるけど、今のところ自宅に戻る方向で考えている。
これまでにおじいさんとおばあさんの介護もしてきて、多分、あの時以上に苦労しそうだとは思うけど、どのような苦労よりも親方と一緒に居られない方がしんどい。あまり穏やかでない人生になることは15年前からとっくに腹を括っている。
「家族(またはヘルパーさん)一人の介助でポータブルトイレに移動できるくらいにはなりたい」というのが目標になった。何をするにも全ての動作に介助が必要だけど、少しずつ、立ち座りができるようになってきた。少し前まで座ることもできなかったのにすごい事だ。
これからやること。障害者手帳の再申請(今は視覚障害のみ。肢体不自由で申請する。障害の程度によって受給できるものが全然違う。)申請が通ったら自宅の改修工事や介護ベッドの導入。
※ただし症状が固定してから6ヶ月経たないといけないとかなんとか色々あって難航しそう。
生活が落ち着いたらデイサービスやレスパイト入院なんかも利用して、自分の休息日もきっちり確保する予定。
リハビリの経過を見ながら利用できる制度など慎重に考え、年内か年明けすぐにまた話し合いをする予定。
力を抜くのは苦手かも。でも手を抜くのは得意。息を抜く方法も知っている。間が抜けているのが致命的だな・・・。
これからの生活に不安は山ほどあるけど、まあなんとかなるんじゃないかなと持ち前の前向き思考を発揮している。周りの人に恵まれているし、何よりもこの人は大丈夫だという親方への信頼が厚い。頭を2回も切られたというのに立ち上がり続けるのすごいよな、さすが私が選んだ男である。もうすぐ31回目の結婚記念日ですよ。
なんてことを思いながら今日も今日とて頑張ります。
読んでくださった皆様、ありがとうございました。
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親方の闘病記録です。
病理検査の結果、今回の腫瘍も孤在線維性腫瘍であり、15年前のヘマンジオペリサイトーマの再発との事。グレード1の良性で再発の可能性は無し。これの治療自体は完了という形になった。いよいよ、リハビリ病院転院に向けて準備の段階へ。
11月4日に抜糸。ガーゼなども取れて初めて手術跡を見たのだけど、右耳の前から生え際に沿って額の真ん中あたりまで…15年前の手術は左側から同じように切ったから、顔半周ぐるっと繋がった感じだ。改めて、大変な手術だったんだなあ、よく頑張ったなあと思う。
11月5日。現在の本人の状態は1日の大半を眠って過ごしてしまう傾眠傾向にあり、寝ているために食事が摂れず点滴で栄養を補っている。点滴には手術の時に確保した中心静脈カテーテルを使用していて、これが色んな感染症のリスクもあるためなるべく早く取りたい。それと、リハビリ病院ではこの点滴はできないかもしれない。転院する前に食事ができるようになるのが目の前の目標。
左脚の麻痺は少しずつ改善していて、5点満点中3点ということだ。
肋骨の腫瘍については、脳外科の主治医が骨軟部腫瘍外科の主治医(別の病院)と話をしてくれて、こちらはリハビリ病院を退院後に受診する運びとなった。
今週中に病院のソーシャルワーカーさんと面談し、転院先について相談する。
15年前からお世話になってる担当さんで心強い。
今回の脳腫瘍は良性だったけど肋骨の腫瘍の正体はまだわからないし、再発もこれで終わりではないと思うし、なにしろ今回の手術による頭へのダメージがまだわからない(ずっと眠ってるから)
ちょっと前の記事に私は「15年ずっとリハビリ頑張って少しずつだけどいろんなことができるようになってきたのに、こんなにあっけなくふりだしに戻ってしまうのか。」と悔しい胸の内を書いた。
15年前の日記を読み返すと、何度も色んなことを忘れてしまう親方との生活に「そうか。たぶんきっと、何度もこうやってふりだしに戻るんだな。根気の要る生活になると思うけど、親方の人生再構築に何度でもじっくり付き合うぜちくしょう。」って書いてあった。
15年前にとっくに決意してるじゃないか。忘れてたわけじゃないけど思い出したよ、ありがとう37歳の私。若い頃の自分の文章は赤面することばかりだけど、たまには良いことも書いてあるわね。
親方が家に帰ってくるのはまだ当分先の話になりそうだけど、ようやく次が見えてきた!
いつも、いつもじゃなくても、気にかけてくださってる皆様ありがとうございます。
無理なくぼちぼち頑張ります。
病理検査の結果、今回の腫瘍も孤在線維性腫瘍であり、15年前のヘマンジオペリサイトーマの再発との事。グレード1の良性で再発の可能性は無し。これの治療自体は完了という形になった。いよいよ、リハビリ病院転院に向けて準備の段階へ。
11月4日に抜糸。ガーゼなども取れて初めて手術跡を見たのだけど、右耳の前から生え際に沿って額の真ん中あたりまで…15年前の手術は左側から同じように切ったから、顔半周ぐるっと繋がった感じだ。改めて、大変な手術だったんだなあ、よく頑張ったなあと思う。
11月5日。現在の本人の状態は1日の大半を眠って過ごしてしまう傾眠傾向にあり、寝ているために食事が摂れず点滴で栄養を補っている。点滴には手術の時に確保した中心静脈カテーテルを使用していて、これが色んな感染症のリスクもあるためなるべく早く取りたい。それと、リハビリ病院ではこの点滴はできないかもしれない。転院する前に食事ができるようになるのが目の前の目標。
左脚の麻痺は少しずつ改善していて、5点満点中3点ということだ。
肋骨の腫瘍については、脳外科の主治医が骨軟部腫瘍外科の主治医(別の病院)と話をしてくれて、こちらはリハビリ病院を退院後に受診する運びとなった。
今週中に病院のソーシャルワーカーさんと面談し、転院先について相談する。
15年前からお世話になってる担当さんで心強い。
今回の脳腫瘍は良性だったけど肋骨の腫瘍の正体はまだわからないし、再発もこれで終わりではないと思うし、なにしろ今回の手術による頭へのダメージがまだわからない(ずっと眠ってるから)
ちょっと前の記事に私は「15年ずっとリハビリ頑張って少しずつだけどいろんなことができるようになってきたのに、こんなにあっけなくふりだしに戻ってしまうのか。」と悔しい胸の内を書いた。
15年前の日記を読み返すと、何度も色んなことを忘れてしまう親方との生活に「そうか。たぶんきっと、何度もこうやってふりだしに戻るんだな。根気の要る生活になると思うけど、親方の人生再構築に何度でもじっくり付き合うぜちくしょう。」って書いてあった。
15年前にとっくに決意してるじゃないか。忘れてたわけじゃないけど思い出したよ、ありがとう37歳の私。若い頃の自分の文章は赤面することばかりだけど、たまには良いことも書いてあるわね。
親方が家に帰ってくるのはまだ当分先の話になりそうだけど、ようやく次が見えてきた!
いつも、いつもじゃなくても、気にかけてくださってる皆様ありがとうございます。
無理なくぼちぼち頑張ります。
いつも気にかけてくださっている皆様ありがとうございます。
2025年10月23日に親方の腫瘍摘出手術が無事に終わりました。
その記録です。
【病名:右前頭蓋底脳腫瘍(みぎぜんずがいていのうしゅよう)】
詳しい検査の結果、右前頭蓋底という脳の奥のほう…どうやら右目と鼻を繋ぐ血管の真ん中あたりに腫瘍があり、その血管から流れてくる血をどんどん吸収して脳内に溢れてしまったようだ。腫瘍の大きさは3〜4センチと思われる。切除したほうが今後のために良いとの判断で手術に踏み切る。
10月20日
23日の開頭手術に向けて「腫瘍栄養血管塞栓術」という処置。
手術中の出血軽減が目的で、腕の動脈からカテーテルを入れて頭まで進め、ボンドのようなもので血管に栓をする。
10月21日
主治医から電話。
前日の処置で使った造影剤の影響か、左脚に麻痺が出ているもよう。
てんかんまたは軽い脳梗塞の疑い。これに対する点滴開始。
一時的なものか否かは現時点では不明。
10月23日
病室の窓から富士山が綺麗に見えた。
この日初冠雪だったそうで、入院した時はまだ半袖の季節だったのになあと思う。
朝10時〜手術開始
病名:右前頭蓋底脳腫瘍
術式:開頭腫瘍摘出術(右開頭)
全身麻酔→頭皮の必要部分を切開→直下の頭蓋骨を開く→腫瘍を切除→止血を十分に確認→骨を戻し皮膚を縫って終了。
15時半過ぎに終了、ICUに移動
同日19時に一般病棟に戻ったとの事。
※その他
腕の血管が出にくいため、手術当日は「中心静脈カテーテル」という方法(心臓に近く太い静脈にカテーテルを入れる)で、急な薬剤投与や輸血に迅速に対応できるようにした。
切除した腫瘍は病理検査へ。
これの結果と術後諸々の検査で今後の治療方針を決めていく。
場合によっては放射線治療や再手術の可能性も。
経過観察中である肋骨の腫瘍の治療も併せて考えていく。
越えなくてはいけない山がまだまだある。
__________
10月27日の日記。
今日も病院へ。
毎日少しずつ意識が回復している。
薄紙を剥ぐように、少しずつ少しずつ。
起きている時間も言葉も増えてきた。
今は個室にいるので面会時間を気にせず長時間いられる(大部屋だと1時間の制限あり)
周りを気にせずたくさん話せる。
数時間の滞在のうち9割くらいは寝ているんだけど、残りの1割の時を見逃さずに過ごす。
差額ベッド代はちと厳しいけど、この大切な時間には変えられない。
帰り際に「じゃあまた来るね。泣くんじゃないよ〜」と冗談ぽく言ったら、「泣かねえよ」と笑ったあとに泣いてしまったではないか。入院してからずっと眠ってばかりで、たまに笑ったりはするけど意識がどこにあるのかわからなくて、だから、少し油断していた。
回復に伴い、親方に「寂しい」の感情が出てきたかな…。
その後すぐに眠ってしまったので、またねと頬を撫でて帰路へ。
親方の涙を見て私の中で一生懸命フラットに保っていたものがバランスを崩したか、色んな感情が渦巻いて家に帰ってからめちゃくちゃ泣いてしまった。
まあでも、泣いてる場合ではないのだ。もう泣かない。
でも親方には今度は「泣いてもいいよ」って言おう。
これからも全力で応援するから。
BGM「鶴/てるてる坊主」
♪君が涙の雨なら どこかに虹が出ているんだろう
探しに行こう ゆっくりでいいよ 一緒にいるから
明日天気になりますように
2025年10月23日に親方の腫瘍摘出手術が無事に終わりました。
その記録です。
【病名:右前頭蓋底脳腫瘍(みぎぜんずがいていのうしゅよう)】
詳しい検査の結果、右前頭蓋底という脳の奥のほう…どうやら右目と鼻を繋ぐ血管の真ん中あたりに腫瘍があり、その血管から流れてくる血をどんどん吸収して脳内に溢れてしまったようだ。腫瘍の大きさは3〜4センチと思われる。切除したほうが今後のために良いとの判断で手術に踏み切る。
10月20日
23日の開頭手術に向けて「腫瘍栄養血管塞栓術」という処置。
手術中の出血軽減が目的で、腕の動脈からカテーテルを入れて頭まで進め、ボンドのようなもので血管に栓をする。
10月21日
主治医から電話。
前日の処置で使った造影剤の影響か、左脚に麻痺が出ているもよう。
てんかんまたは軽い脳梗塞の疑い。これに対する点滴開始。
一時的なものか否かは現時点では不明。
10月23日
病室の窓から富士山が綺麗に見えた。
この日初冠雪だったそうで、入院した時はまだ半袖の季節だったのになあと思う。
朝10時〜手術開始
病名:右前頭蓋底脳腫瘍
術式:開頭腫瘍摘出術(右開頭)
全身麻酔→頭皮の必要部分を切開→直下の頭蓋骨を開く→腫瘍を切除→止血を十分に確認→骨を戻し皮膚を縫って終了。
15時半過ぎに終了、ICUに移動
同日19時に一般病棟に戻ったとの事。
※その他
腕の血管が出にくいため、手術当日は「中心静脈カテーテル」という方法(心臓に近く太い静脈にカテーテルを入れる)で、急な薬剤投与や輸血に迅速に対応できるようにした。
切除した腫瘍は病理検査へ。
これの結果と術後諸々の検査で今後の治療方針を決めていく。
場合によっては放射線治療や再手術の可能性も。
経過観察中である肋骨の腫瘍の治療も併せて考えていく。
越えなくてはいけない山がまだまだある。
__________
10月27日の日記。
今日も病院へ。
毎日少しずつ意識が回復している。
薄紙を剥ぐように、少しずつ少しずつ。
起きている時間も言葉も増えてきた。
今は個室にいるので面会時間を気にせず長時間いられる(大部屋だと1時間の制限あり)
周りを気にせずたくさん話せる。
数時間の滞在のうち9割くらいは寝ているんだけど、残りの1割の時を見逃さずに過ごす。
差額ベッド代はちと厳しいけど、この大切な時間には変えられない。
帰り際に「じゃあまた来るね。泣くんじゃないよ〜」と冗談ぽく言ったら、「泣かねえよ」と笑ったあとに泣いてしまったではないか。入院してからずっと眠ってばかりで、たまに笑ったりはするけど意識がどこにあるのかわからなくて、だから、少し油断していた。
回復に伴い、親方に「寂しい」の感情が出てきたかな…。
その後すぐに眠ってしまったので、またねと頬を撫でて帰路へ。
親方の涙を見て私の中で一生懸命フラットに保っていたものがバランスを崩したか、色んな感情が渦巻いて家に帰ってからめちゃくちゃ泣いてしまった。
まあでも、泣いてる場合ではないのだ。もう泣かない。
でも親方には今度は「泣いてもいいよ」って言おう。
これからも全力で応援するから。
BGM「鶴/てるてる坊主」
♪君が涙の雨なら どこかに虹が出ているんだろう
探しに行こう ゆっくりでいいよ 一緒にいるから
明日天気になりますように
9月12日に無事終わったイベントのご報告&お礼を書きたいのですがその前に一つ。
イベント翌日の13日、親方が緊急入院しました。
私のことを最近知ってくださった方向けにざっくり説明しますと
私の夫(通称親方)、2010年10月にヘマンジオペリサイトーマという極めて症例の少ない脳腫瘍で倒れ、開頭手術で一命は取り留めたものの、記憶障害や視覚障害などのハンデを抱えてしまいました。加えて、この腫瘍は切除しても再発率90%という憎たらしい奴で、2020年に右坐骨に転移再発(こちらは重粒子線で治療)、昨年あたりから肋骨や脳にも小さな再発が見つかり経過観察中でした。
最初の罹患から15年、リハビリや日々の暮らしの中でできることも増えてきたのですが
この度突然の脳出血と経過観察中の脳腫瘍が大きくなっているとの診断で、手術に向けての入院となりました。
イベントの数週間前から元気ないな?という状態で、数日前には高熱も出していたこともあり、12日に留守にしてしまったことでもしかしたら責められてしまうかも、と思っていたのですが、そんなこと誰も何も言わずに、親方の無事を祈ってくださる方ばかりで、本当に感謝しています。
以下、入院までの経過。
9月4日の夕方から発熱して、上がったり下がったりの繰り返しで内科の先生に往診来てもらってコロナもインフルも陰性で、腫瘍の再発の影響もあるのかなとやってもらった血液検査も異常なし。解熱剤で様子見てください、もしどうしても心配だったら脳外科に相談してみてくださいと言われて。
食欲もあるし、一緒にテレビ見たり歌ったり、発熱以外は症状はなかったのだけど。
9月10日
熱は下がってきたけど何か少し違和感があってかかりつけの脳外科に電話してみた。
診察できないことはないけど往診の先生がやったのと同じ検査しかしませんよ、風邪じゃないですかね、もう少し様子見てみては?と受診をやんわり拒否された。
眠っていると言うより昏睡しているように見えたんだけど・・・
でも、起こすと起きるしご飯も食べる。
11日にはほぼ平熱に落ち着き、やっぱり風邪?心配しすぎだったのかなと安堵する。
12日(イベント当日)はまた少し熱はあったものの、朝も昼もご飯食べたし起きてテレビを見ていた。
私が出かける15時から長男が帰宅する19時頃まで一人になるけど大丈夫だよねと判断し、本人も大丈夫だよと言うのでイベントへ・・・。
帰宅して検温。平熱。用意したお弁当は半分くらい食べてあった。
起こして少し会話をし、オムツ交換と着替え。就寝。
●9月13日
平熱。よかった。だけど、声をかけても反応が鈍い。
今までどんなに高熱でも起こしたら起きるし食欲はあったのに今日はいらないと言う。
呂律が回っていない気がする。
高次脳機能障害で普段から受け答えは怪しいのだけど、今日の怪しさはいつもと違う。
ここ数日は高熱で表情がぼんやりとしていたけど、今日のぼんやりはなんだか違う。
10日の時の違和感再び。
一旦受診を拒否されているのでいきなり119は尻込みして♯7119に電話してみた。
全然繋がらない。検索すると「繋がらない場合は(神奈川県の場合)かながわ救急相談センター「045-523-7119」または「045-232-7119」に電話をしてみてください」とあったので試してみるとすぐに繋がった。
症状を伝えると「救急車を呼んだほうがいい」と救急へ電話を繋げてくれた。
親方だけじゃなく今までおばあさんもおじいさんも何度か救急車のお世話になっているので、通報慣れしている。台本でもあるのかと言うくらいスラスラ説明できた。
救急車が来るまでに持ち物の準備。これも慣れたものだ。
「保険証、診察券、お薬手帳、処方されてる薬全部、親方の靴、モバイルバッテリー、自分用の飲み物と手軽に食べられるもの、羽織るもの、帰りのタクシー代」
大抵長丁場になるし、場合によっては全然知らない土地へ連れて行かれて深夜に帰る羽目になったりするので、財布と充電と食べ物はあったほうがいい。
同じく救急慣れしている長男が、猫たちを2階に避難させ、部屋のあれこれを端に寄せ、進路を確保する。
救急車到着。かかりつけの脳外科に搬送してもらえることになったのだが、親方の体が大きいことに加え激しい腰痛のためベッドから動かせず、救急隊員を増員。もう一台救急車が来たものだからご近所さんに大変心配をかけてしまった。最初の3名+応援の3名、合わせて6名で親方を運んだ。
救急外来にてCTやレントゲンの結果、脳内出血しているとのこと。
そして経過観察中の腫瘍が大きくなってきている。
それらが脳幹を少し圧迫しているのだが、15年前の手術で頭に空洞?余白?があって、お陰で深刻な圧迫にはなっていないという。
出血量から見ると、出血が始まったのはここ2、3日ではないかとのこと。
ではやはり10日の違和感は当たっていたのかもしれない。
連休明けに諸々の検査をして、手術をする方向で調整していきましょうとのこと。
このブログを書いている今日は9月19日で入院からそろそろ一週間になる。
その間、脳の浮腫みをとる点滴をしたり造影剤を使ったCT検査。進展はまだない。
熱はもうない。ずっと寝ている。声をかけると起きて少し会話をするけどすぐ寝てしまう。食欲はある。日によって反応はまちまちだけど日に日に認知が怪しくなっている印象。意味不明のことを言ったりちょっとした奇行もある。元々視野狭窄があるのだけど、さらに目が見えなくなってるっぽい。
これが一時的なものなのかどうかわからない。
来週MRI検査をして、再来週あたりに治療方針が決定する見込み。
一刻を争う感じではなくてよかったなあとは思うけど、今後のことが全然見えなくて不安でいっぱい。
そしてめちゃくちゃ悔しい。
15年ずっとリハビリ頑張って少しずつだけどいろんなことができるようになってきたのに、こんなにあっけなくふりだしに戻ってしまうのか。
坐骨への転移の時に嫌と言うほど思い知らされた「専門医じゃないとわかってもらえない」のと「30余年一緒にいる自分が抱いた違和感に間違いはない」と言うことを再認識。
それにしても、どの時点でどのような行動をすれば最善だったのか。
とにかく今は親方の生命力と自分達の未来を信じて頑張ります。
そしてそして
12日にイベントができたこと、本当に感謝しています。
改めてブログを書きますが、関わってくださった全ての皆様、ありがとうございました。
大切な思い出。とても強力な、ココロの御守りになっています。
イベント翌日の13日、親方が緊急入院しました。
私のことを最近知ってくださった方向けにざっくり説明しますと
私の夫(通称親方)、2010年10月にヘマンジオペリサイトーマという極めて症例の少ない脳腫瘍で倒れ、開頭手術で一命は取り留めたものの、記憶障害や視覚障害などのハンデを抱えてしまいました。加えて、この腫瘍は切除しても再発率90%という憎たらしい奴で、2020年に右坐骨に転移再発(こちらは重粒子線で治療)、昨年あたりから肋骨や脳にも小さな再発が見つかり経過観察中でした。
最初の罹患から15年、リハビリや日々の暮らしの中でできることも増えてきたのですが
この度突然の脳出血と経過観察中の脳腫瘍が大きくなっているとの診断で、手術に向けての入院となりました。
イベントの数週間前から元気ないな?という状態で、数日前には高熱も出していたこともあり、12日に留守にしてしまったことでもしかしたら責められてしまうかも、と思っていたのですが、そんなこと誰も何も言わずに、親方の無事を祈ってくださる方ばかりで、本当に感謝しています。
以下、入院までの経過。
9月4日の夕方から発熱して、上がったり下がったりの繰り返しで内科の先生に往診来てもらってコロナもインフルも陰性で、腫瘍の再発の影響もあるのかなとやってもらった血液検査も異常なし。解熱剤で様子見てください、もしどうしても心配だったら脳外科に相談してみてくださいと言われて。
食欲もあるし、一緒にテレビ見たり歌ったり、発熱以外は症状はなかったのだけど。
9月10日
熱は下がってきたけど何か少し違和感があってかかりつけの脳外科に電話してみた。
診察できないことはないけど往診の先生がやったのと同じ検査しかしませんよ、風邪じゃないですかね、もう少し様子見てみては?と受診をやんわり拒否された。
眠っていると言うより昏睡しているように見えたんだけど・・・
でも、起こすと起きるしご飯も食べる。
11日にはほぼ平熱に落ち着き、やっぱり風邪?心配しすぎだったのかなと安堵する。
12日(イベント当日)はまた少し熱はあったものの、朝も昼もご飯食べたし起きてテレビを見ていた。
私が出かける15時から長男が帰宅する19時頃まで一人になるけど大丈夫だよねと判断し、本人も大丈夫だよと言うのでイベントへ・・・。
帰宅して検温。平熱。用意したお弁当は半分くらい食べてあった。
起こして少し会話をし、オムツ交換と着替え。就寝。
●9月13日
平熱。よかった。だけど、声をかけても反応が鈍い。
今までどんなに高熱でも起こしたら起きるし食欲はあったのに今日はいらないと言う。
呂律が回っていない気がする。
高次脳機能障害で普段から受け答えは怪しいのだけど、今日の怪しさはいつもと違う。
ここ数日は高熱で表情がぼんやりとしていたけど、今日のぼんやりはなんだか違う。
10日の時の違和感再び。
一旦受診を拒否されているのでいきなり119は尻込みして♯7119に電話してみた。
全然繋がらない。検索すると「繋がらない場合は(神奈川県の場合)かながわ救急相談センター「045-523-7119」または「045-232-7119」に電話をしてみてください」とあったので試してみるとすぐに繋がった。
症状を伝えると「救急車を呼んだほうがいい」と救急へ電話を繋げてくれた。
親方だけじゃなく今までおばあさんもおじいさんも何度か救急車のお世話になっているので、通報慣れしている。台本でもあるのかと言うくらいスラスラ説明できた。
救急車が来るまでに持ち物の準備。これも慣れたものだ。
「保険証、診察券、お薬手帳、処方されてる薬全部、親方の靴、モバイルバッテリー、自分用の飲み物と手軽に食べられるもの、羽織るもの、帰りのタクシー代」
大抵長丁場になるし、場合によっては全然知らない土地へ連れて行かれて深夜に帰る羽目になったりするので、財布と充電と食べ物はあったほうがいい。
同じく救急慣れしている長男が、猫たちを2階に避難させ、部屋のあれこれを端に寄せ、進路を確保する。
救急車到着。かかりつけの脳外科に搬送してもらえることになったのだが、親方の体が大きいことに加え激しい腰痛のためベッドから動かせず、救急隊員を増員。もう一台救急車が来たものだからご近所さんに大変心配をかけてしまった。最初の3名+応援の3名、合わせて6名で親方を運んだ。
救急外来にてCTやレントゲンの結果、脳内出血しているとのこと。
そして経過観察中の腫瘍が大きくなってきている。
それらが脳幹を少し圧迫しているのだが、15年前の手術で頭に空洞?余白?があって、お陰で深刻な圧迫にはなっていないという。
出血量から見ると、出血が始まったのはここ2、3日ではないかとのこと。
ではやはり10日の違和感は当たっていたのかもしれない。
連休明けに諸々の検査をして、手術をする方向で調整していきましょうとのこと。
このブログを書いている今日は9月19日で入院からそろそろ一週間になる。
その間、脳の浮腫みをとる点滴をしたり造影剤を使ったCT検査。進展はまだない。
熱はもうない。ずっと寝ている。声をかけると起きて少し会話をするけどすぐ寝てしまう。食欲はある。日によって反応はまちまちだけど日に日に認知が怪しくなっている印象。意味不明のことを言ったりちょっとした奇行もある。元々視野狭窄があるのだけど、さらに目が見えなくなってるっぽい。
これが一時的なものなのかどうかわからない。
来週MRI検査をして、再来週あたりに治療方針が決定する見込み。
一刻を争う感じではなくてよかったなあとは思うけど、今後のことが全然見えなくて不安でいっぱい。
そしてめちゃくちゃ悔しい。
15年ずっとリハビリ頑張って少しずつだけどいろんなことができるようになってきたのに、こんなにあっけなくふりだしに戻ってしまうのか。
坐骨への転移の時に嫌と言うほど思い知らされた「専門医じゃないとわかってもらえない」のと「30余年一緒にいる自分が抱いた違和感に間違いはない」と言うことを再認識。
それにしても、どの時点でどのような行動をすれば最善だったのか。
とにかく今は親方の生命力と自分達の未来を信じて頑張ります。
そしてそして
12日にイベントができたこと、本当に感謝しています。
改めてブログを書きますが、関わってくださった全ての皆様、ありがとうございました。
大切な思い出。とても強力な、ココロの御守りになっています。
久しぶりに親方の闘病記録を。
前回は「重粒子線治療終わりました」2021年の記録でした。
その後、脳外科と骨軟部腫瘍外科と重粒子線科を定期的に受診しながら、保健福祉科の方や相談員さん(ケアマネみたいなもの)のサポートでリハビリや通所に励んでいたのですが、病変や環境の変化がありました。
2025年4月現在
重粒子線の後遺症で右足の神経障害が進行、家の中では歩行できるが、基本的に車椅子の生活に。紙おむつ(トレパン)とポータブルトイレ使用
左側の肋骨と脳の右側に腫瘍の再発があり、近々治療方針を決定する予定。
週3回、生活介護施設へ通所。
運動やレクリエーション、入浴など。
週1回訪問リハビリ、月1回内科訪問診療、訪問看護
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ざっと振り返り。
2021年から脳外科の他、骨軟部腫瘍外科と重粒子線科を定期的に受診
2021年
9月
PET-CTで左側第10肋骨に気になる所見あり(要経過観察)
2022年
4月
自立支援センターで相談
9月
ヘルパーさんによる同行援護開始
11月
障害福祉サービス受給者証更新のため認定調査
(受給内容:同行援護支援と計画相談支援)
12月
頻繁に腰痛を訴えるようになるが検査等とくに異常なし
保健福祉科に紹介してもらい、相談員さん(ケアマネさんみたいなもの)介入
2024年
2月
訪問リハビリ開始
4月
訪問診療(内科)、訪問看護 開始
春頃
右足の動きが鈍くなり始める
6月
風呂場で転倒する事件あり、その後一人で入浴できなくなる
6月30日
急な高熱でリビングにて昏倒、救急搬送そのまま入院
尿路感染による腎盂腎炎とのこと
腎盂腎炎の症状は改善したものの、歩行困難になってしまったためリハビリで入院継続
本人が脇腹に強い痛みを訴えているため腫瘍の再発を疑い、
8月1日
骨軟部腫瘍外科の主治医の元へ転院
8月8日
主治医より病状説明
※幾つかの骨転移が見られるが今の所治療の必要なし
※重粒子線の後遺症で右足の神経障害が進行している、治るものではなく、今後歩けるようになる見込みなしとの事
9月6日
退院
9月10日
訪問リハビリ再開
※練習したら歩けるようになると思う、との事
実際ちょっとずつ歩けるようになってる
10月
生活介護施設通所開始、14年間お世話になった中途障害者施設を退会。
2025年
2月
初めてショートステイ利用
3月
骨軟部腫瘍外科
左側第10肋骨の腫瘍が予想以上に大くなってきているため、他に病変がないうちに切除予定(未定)
脳外科
脳の右側(耳の上辺り?)に腫瘍の再発あり、昨年からうっすら見えていたらしいが成長しているとのこと。要経過観察。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こんな感じで、ざっくりと記録でした。
前回は「重粒子線治療終わりました」2021年の記録でした。
その後、脳外科と骨軟部腫瘍外科と重粒子線科を定期的に受診しながら、保健福祉科の方や相談員さん(ケアマネみたいなもの)のサポートでリハビリや通所に励んでいたのですが、病変や環境の変化がありました。
2025年4月現在
重粒子線の後遺症で右足の神経障害が進行、家の中では歩行できるが、基本的に車椅子の生活に。紙おむつ(トレパン)とポータブルトイレ使用
左側の肋骨と脳の右側に腫瘍の再発があり、近々治療方針を決定する予定。
週3回、生活介護施設へ通所。
運動やレクリエーション、入浴など。
週1回訪問リハビリ、月1回内科訪問診療、訪問看護
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ざっと振り返り。
2021年から脳外科の他、骨軟部腫瘍外科と重粒子線科を定期的に受診
2021年
9月
PET-CTで左側第10肋骨に気になる所見あり(要経過観察)
2022年
4月
自立支援センターで相談
9月
ヘルパーさんによる同行援護開始
11月
障害福祉サービス受給者証更新のため認定調査
(受給内容:同行援護支援と計画相談支援)
12月
頻繁に腰痛を訴えるようになるが検査等とくに異常なし
保健福祉科に紹介してもらい、相談員さん(ケアマネさんみたいなもの)介入
2024年
2月
訪問リハビリ開始
4月
訪問診療(内科)、訪問看護 開始
春頃
右足の動きが鈍くなり始める
6月
風呂場で転倒する事件あり、その後一人で入浴できなくなる
6月30日
急な高熱でリビングにて昏倒、救急搬送そのまま入院
尿路感染による腎盂腎炎とのこと
腎盂腎炎の症状は改善したものの、歩行困難になってしまったためリハビリで入院継続
本人が脇腹に強い痛みを訴えているため腫瘍の再発を疑い、
8月1日
骨軟部腫瘍外科の主治医の元へ転院
8月8日
主治医より病状説明
※幾つかの骨転移が見られるが今の所治療の必要なし
※重粒子線の後遺症で右足の神経障害が進行している、治るものではなく、今後歩けるようになる見込みなしとの事
9月6日
退院
9月10日
訪問リハビリ再開
※練習したら歩けるようになると思う、との事
実際ちょっとずつ歩けるようになってる
10月
生活介護施設通所開始、14年間お世話になった中途障害者施設を退会。
2025年
2月
初めてショートステイ利用
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骨軟部腫瘍外科
左側第10肋骨の腫瘍が予想以上に大くなってきているため、他に病変がないうちに切除予定(未定)
脳外科
脳の右側(耳の上辺り?)に腫瘍の再発あり、昨年からうっすら見えていたらしいが成長しているとのこと。要経過観察。
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こんな感じで、ざっくりと記録でした。
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プロフィール
HN:
数字9
性別:
非公開
自己紹介:
神奈川在住。
色んな音楽に出会うことに喜びを感じながら、ゆるゆる生活する日々。…でしたが
2010年10月、夫が「ヘマンジオペリサイトーマ」という脳腫瘍で倒れ、摘出手術に成功したものの、高次脳機能障害と視覚障害のため、リハビリの真っ最中。
がんばってます。
色んな音楽に出会うことに喜びを感じながら、ゆるゆる生活する日々。…でしたが
2010年10月、夫が「ヘマンジオペリサイトーマ」という脳腫瘍で倒れ、摘出手術に成功したものの、高次脳機能障害と視覚障害のため、リハビリの真っ最中。
がんばってます。
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